わたしたちは「共育て共育ち」の理念のもと、子どもをまん中に職員と父母が手をつなぎ合い、支えあい、成長しあい、共に学べることを大切にしながら日々歩んでいます。
はとの知るトップ画像

社会福祉法人はとの会-はとを知る/保護者・卒園児からのメッセージ

保護者からのメッセージ

「オープン」こそ鳩の森愛の詩です。

河村さん(H22.3 長女しいろちゃん、H25.3 長男じゅうくん瀬谷保育園卒園)
河村写真仮
鳩の森愛の詩瀬谷保育園に入園を決めたのはなぜですか?
平成21年の冬に神奈川区の方から三ツ境駅の近くへ引っ越す際に、夫婦共働きでしたので家の近くで子どもたちを預けられる保育園を探して何箇所か見学をしました。鳩の森愛の詩瀬谷保育園はそのうちのひとつでした。見学した各保育園には、家のすぐ近くにあったり、小学校への準備をしっかりしているところなど、それぞれ良いなと思う特徴がありました。鳩の森愛の詩瀬谷保育園は家からも遠く第一候補ではありませんでしたが、いざ見学してみると先生方ばかりか(のちに先生とは呼ばずに名前で呼ぶと知らされました。)、園児たちもとにかく人なつこい。園児たちは「誰のお父さん?」などとどんどん質問してきたり、付いてきたり、当時の園舎は仮にもきれいで立派というわけではなかったのですが、使い込まれた木の床や扉や壁がとてもあったかく、その中で外で園児たちがのびのびと自分を解放して生活している雰囲気が感じられました。この保育園は他とはちょっと違うぞと思い、自分の子どもたちを預けるならこんな場所がいいなということで夫婦で意見が一致しました。そこで登園は少し大変だったのですが、鳩の森愛の詩瀬谷保育園への入園を第一希望に申し込みました。

河村写真仮
鳩の森愛の詩瀬谷保育園に入園して良かったことは何ですか?
まず何と言っても、子どもたちが毎日楽しく保育園へ通ってくれたことです。引っ越しする前にはもちろん子どもたちは神奈川区の保育園に通っていて、慣れ親しんだお友達や先生と楽しく過ごしていました。そこをお別れして新しい保育園へと転園するとなると、子どもたちが新しい環境へちゃんと入って行けるのか、新しい保育園ではみんな受け入れてくれるのかが心配でした。ところがそんな心配は取り越し苦労でした。保育園を決める見学の時から予感はあったのですが、とにかく園児も職員もオープンで子どもたちはあっという間にクラスの仲間として馴染んでしまったのです。それどころか、私たち親もいつの間にか園長さんをはじめ保育士さんたちとあっという間に仲良くなり、クラスの父母たちともまるで数年来通っているかのような輪の中に自然にすっと入って行けたのがとにかく嬉しかったです。

河村写真仮
では、逆に大変だったことはありませんか?
大変だったことと言えば、毎日のお洗濯ですね。鳩の森愛の詩瀬谷保育園では本当によく外遊びをします。暑くたって、寒くたって、雨上がりで園庭がドロドロになればチャンス!とばかりに泥んこ遊びにドロ滑り。靴は普段から2-3足用意して毎日のように洗います。その他に泥んこ用の着替えと靴なども保育園に置いておいてあります。泥んこでなくたって、公園で転がり、滑り、木登りに鬼ごっこ。必ずズボンのお尻のところや裾が汚れたお着替えを持って帰ります。確かに洗濯は大変ですが、子どもたちが家に帰って、本当に楽しそうに保育園での遊びのことを話すのを聞いていると汚してくるななんて言えません。逆によしよしもっとやってこい!って思ってしまいます。
それと、父母参加の行事の多さには入園当初には戸惑いました。正直、それって参加しなくちゃだめなんですか?なんて聞いてみたりもしましたが、少しずつ参加してみると父母と職員と子どもたちとみんなで力を合わせて、子どもたちのためにと忙しい中楽しそうに準備をして行事を盛り上げている姿に感心し、いつの間にか一緒になって参加することが楽しくなっていました。のちに気づいたのですが、それは自分たちの子どもの成長を保育園任せにしないこと、保育園はしっかり父母と相談しながら一緒になって子どもの成長の背中を押してあげることといった、鳩の森愛の詩の保育の考え方から来ていたのでした。今思うに、子どもたちのこの大切な成長の時期を保育園と父母が一緒に考え、悩み、行動することで、子どもたちも安心して自分を出せているのだなと実感しています。だから、確かに行事が多いことは共働きで忙しい中大変ですが、結果として子どもたちがのびのびと自分の家のように保育園生活を送れるなら出来る範囲で参加できたのは正解だったかなと思います。そんなこと言ってますが、途中からは自分たちが楽しくて参加していたのですが。

最後に、鳩の森愛の詩瀬谷保育園へ一言。
子どもたちも親である私たちも、毎日忙しく一所懸命過ごしていたらいつの間にか保育園卒園してたと言った感じです。卒園して今思うことは、行事の参加を通じてクラスのお父さんお母さんたちととても良い仲間になれたこと、子どもたちも濃厚で大変で楽しくて面白いたくさんの事をクラスや保育園の仲間とチャレンジしていく内に内面外面とも成長し仲間ともとても良い絆ができたこと、そして卒園してからも気軽に遊びに行ってお互いの事を報告し相談し合える保育園に出会えたこと、とても感謝しています。これからもよろしくお願いします。


鳩の森イズムを子どもと一緒に

紺野 智秋さんOB
紺野写真仮
鳩の森愛の詩あすなろ保育園に入園を決めたのはなぜですか?
自宅は瀬谷区の三ツ境ですが、職場が夫婦ともに泉区の上飯田町だったため、自宅と職場の間にある保育園を探そうと、妻が幾つか保育園を見学しました。そして1つの保育園に来た時に1人の保育園関係者が、温かく見学者の妻を迎え入れてくれたようです。その人は、鳩の森愛の詩あすなろ保育園にいた瀬沼静子氏改め、せぬママだったようです。自分自身が温かく迎え入れてくれたのならば、自分の子供も同じように迎え入れてくれると確信したようです。
鳩の森愛の詩あすなろ保育園に入園してよかったことは何ですか?
沢山あって何から言えばよいか・・・まずは、子供の成長が常に感じられること。当時、保育園のイメージは「ただ子供を預ける場所」で、気が付いたら子供が小学生になっていたという風に思っていました。しかし保育参加や行事が多く、最初は親自身が大変と思っていましたが、自宅では見られない子供の成長が見られたのは、私たち親の記憶の財産です。 保育園も親を受け入れることは大変だと思いますが、どちらかというと積極的に親を受け入れてくれることが良かったです。ちなみに私自身、子供がいなくても保育園に入り浸っていたと思います。他には、子供だけでなく親同士の絆。子供と同じクラスだった親同士は、今でも交流があります。不思議と自分自身が子供のころから仲が良かったような、そんな雰囲気を作ってくれたのも保育園だと思います。まだまだ沢山ありますが、最後に1つ。やはり親が困ったときに助けてくれたのも、保育園であり、同じクラスの親御さんでした。本当に鳩の森には感謝感謝でいっぱいです。楽しい記憶しかありません。
では、逆に大変だったことはありませんか?
楽しい記憶=大変でもあった記憶と言っても過言ではないくらい、まあ行事が多く、最初は、参加している親御さんにすら「なんて暇な親たちなんだろう!」と思っていました。(←先輩のOBの皆様、本当にごめんなさい。)入園して間もなくは、頑なに行事には参加しないと思っていましたが、まんまと父母会に入会させられ、どうしても行事に行かなければいけない状況を作らされ、行事に参加すれば、次に保育園に登園すると、知らない先生からも「先週はありがとうございました。」とか、「やっぱり、お父さんが来てくれると思った!」と言われ、気が付いたら熱心に行事に参加するようになっていました。週末はゆっくりしたいと思うのですが、行事に参加しなければ何を言われるかわかったもんじゃない!と思い必死でした・・・でも本当は、子供と一緒だったり他の親御さんと交流が図れることが、自分自身喜んで参加をしていたと思います。あっ大変だった話が、良かった話になってしました。
最後に、鳩の森愛の詩あすなろ保育園へ一言。
鳩の森の歌の歌詞に、「子育ては、いっとき」とあります。子供が2人お世話になりましたが、本当にあっという間の10年間でした。不思議なもので自分が学生の頃、卒業するときは泣かなかったのに、子供の卒園式では2回とも号泣をしてしまいました。振り返れば仕事も忙しく、保育園の送り迎えでも「やっと」の時期もありました。でも保育園に関わる全ての人たちに助けられたと思っています。そして実は、子供たちは今でも鳩の森愛の詩あすなろ保育園に月に2回太鼓を習いに伺っています。そこに私も、ちゃっかり付いていっています。それだけ、愛着がある保育園。先生方は大変だと思いますが、ずっとその姿勢で保育園を運営してください。


卒園児からのメッセージ

心が満たされた時の顔ってこんな顔なんだなと

子どもOB会 中野 孝惟(1998年度卒)
中野孝惟

98年度卒園の中野孝惟(なかのたかのぶ)です。
園児として在園していた頃は「たかちゃんって呼ばれていました。 そんな僕は今年から、鳩の森愛の詩保育園で保育士として働いています。
昔と変わらず子どもたちからはたかちゃんって呼ばれていること、卒園した時の写真が飾ってあること、せぬママはじめ昔お世話になった先生たちのもとで働くことに昔懐かしさと気恥ずかしさを感じながら、子どもと楽しく過ごしています。 今こうして鳩で働いているのも、鳩で過ごした保育園時代がとっても楽しかったことが理由です。

中野孝惟

そして今実際、4才そら組の担任として働き始めて、改めて昔ここまで手をかけて育ててもらっていたことに感謝しています。 子どもたちはとっても元気!! 晴れた日にはだいたいお散歩に行きます。このお散歩が正直なところ大変!!です。先頭に保育士1人、17人の子どもたち、一番後ろに保育士1人の順番で歩きます。
この間、「近くのお家にこいのぼりが飾ってあるから見に行こう!!ということになりました。大人だったら歩いて10分もかからない距離です。子どもたちと一緒に歩くと行きだけで30分以上かかりました。
道端に咲いている花や、その周りにいる虫を見つけるたびに子どもたちは「あっ、いたいた!!」なんていって立ち止まるんです。
「たかちゃん!!あり見つけた!!」とか、花を取って「ママへのお土産にするの」とか。
そして子どもたちの宝物は僕に向かっても差し出されます。「(たかちゃん)あずかっといて」です。だから僕のズボンのポケットは、花やきれいな石、時にはダンゴ虫まで・・・子どもたちの宝物でいっぱいです。そんなことを繰り返しながら目的地に「着いたー、やったー!!とこちらが思っても、こいのぼりはチラリと見ただけで、さっきの続き、道端で見つけた虫を囲んでいました。
「こっちきた!!」・「歩いてるよ!!」・「触っちゃだめだよ」と、いきいきと虫を観察している子どもたち。結局、目的地に着いた満足感に浸っていたのは僕だけのように感じました。
ただ、それが子どもなんだなと思いました。お散歩から保育園に帰ったら、心の底から「楽しかったー!」の子どもたちの顔・顔・顔!なのです。心が満たされた時の顔ってこんな顔なんだなと、子どもたちを見ていて気づきます。こういう顔になれることってとても素敵だな、と思います。そして、僕も鳩で過ごした子どもの頃、こんな顔をしていたのかな、って思いました。
僕がそうであったように子どもたちが楽しいって思えることをいっぱい経験して、その気持ちに寄り添っていける、共に感じられる保育士になっていきたいと思います。


保育園で「ダメ」と言われたことがないような気がします

子どもOB会 菅沼 拓泰(1994年度卒)
中野孝惟

時が経つのは早いものですね。自分が本当に小さい時から、お世話になり、保育園を通し、水泳や跳び箱、芋掘り、焚き火、太鼓、バザーと多くの貴重な体験をしました。
毎日、保育園に着いたと同時に遊び始め、触り心地の良い木の食器に盛り付けてある美味しいバランスの取れた昼食をいただき、昼寝をし、遊び、健康的なおやつを食べ、そして、また遊び、迎えが来て、帰る。楽しく、充実した生活を送らせていただきました。時々、ふと、このときに「戻りたい」と思ってしまうことがあります。
今の自分を形成している健康な体や体力、好奇心といったものは、すべて鳩で基礎つくられたものだと思います。

当時の思い出で、今でも信じられないのは、冬でも半袖半ズボン、そして寒かったら「走ればいいじゃん」という考えを持っていたということです。 走ることで、体がすぐに熱くなるため、長袖長ズボンは持っていなかったのではないでしょうか。時々、当時のことを思い出し、寒いときに走ってみますが、保育園のときのようには残念ながらいきません。

おひさま組でしょうか。お茶碗を買いに、みんなで横浜SOGOに行ったと思います。お昼は、そこのレストランでお子様ランチを食べ、自由にフロアを見て歩き、一人ひとり好きな茶碗を 選んだと思います。付き添っていただいた先生は2人か3人、保育園児は10人以上だったと思います。自分は「へのへのもへじ」の茶碗を選びました。
デパートで茶碗を見ると、そのときの情景がよみがえってきます。ただ、付き添いの先生方は、どういう気持ちだっただろうということも考えてみます。ハラハラしていたのかもしれません。ただ、当時、信頼していただいたことで、楽しい行事をいくつも経験できたのは生涯忘れることはないでしょう。

記憶に無いだけかもしれませんが、保育園で「ダメ」と言われたことがないような気がします。いつも思うままに行動していたのではないでしょうか。 思ったことを実行してみる。そういう歩みを今も、続けています。